コソ化合物

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1961年2月13日、アメリカのカリフォルニア州オランチャにあるコソ山脈で鉱石収集家によって発見された謎の化合物。晶洞石(空洞になった内部に結晶がついている石)の中から出てきたという。

化石化した木と思われる六角形の筒の中には、直径19mmの固いセラミック製の本体に金属製のシャフト、そして直径2mmの軸が付属おり、自動車用の点火プラグによく似ているという。

X線による検査で、この化合物の内部のを見ると、小型の機械部品や一種の電気装置としか考えられない構造をもっており、人の手によって作られたことは間違いないとの判定が出た。また、化合物に付着していた貝の化石から、この化合物は50万年以上も前の物であるという驚きの結果も出た。

50万年前にこのような化合物を作れたというのだろうか?それとも、古代に地球を訪れていたといわれる宇宙人が捨てていったものなのだろうか?

現在、コソ化合物は行方不明になっているため、写真でしか見ることができないのが残念である…

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アビドス神殿の壁画

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エジプトの古代都市遺跡アビドスには幾つかの遺跡があるが、中でも有名なのは、ラムセス2世の父親・セティ1世(BC1300年頃)の葬祭殿である。

1997年、葬祭殿を見学しに来ていたブルース・ローレスという研究家は、セティ1世の葬祭殿の一角に不思議なものが描かれているのを発見した。 そこには、まるで現代のヘリコプターや戦車、そして、戦闘機のような飛行物体が描かれていたのだ。

その後、ブルース・ローレスが撮影した写真がインターネットとアメリカのテレビを通じて紹介され、世界中を驚かせた。「BC1300年にそのような乗り物が存在するはずはない」と、頭ではわかっていても、現代の乗り物にしか見えない古代のヒエログリフに驚いた人は多いのではないのだろうか。以来、これらのヒエログリフは「オーパーツ」と呼ばれるようになり、現在でも世界中のオーパーツ・ファンの注目を集めている。

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カブレラストーン

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1961年、南米ペルー、アンデス地方のイカという村で、カブレラ博士によって大量の石が発見された。その石には、驚くべきことに約6500万年前に絶滅したはずの恐竜たちの絵が描かれているという。また人間が恐竜に乗っている絵や餌付けしている絵、さらには人間が武器を持って恐竜と戦っている絵もあるという。

カブレラ博士の名にちなんでカブレラストーンと呼ばれるこの石は、分析の結果1万年以上前に制作された物であることが分かっている。ということは、1万年前まで恐竜が生息し人類と共存していた事を示している。

さらに心臓手術や頭部手術の様子、世界地図、天体望遠鏡で宇宙を観測する人などが描かれている石も見つかっている。かなり高度な技術を持っている文明が1万年以上前に存在していたことになる。これも今までの世界の歴史が変わる発見になる。

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バグダッド電池

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この壺は1937年、バグダッドの南西にある遺跡から発見され、約2000年前に栄えたパルティア王国のものであることが分かった。壺は高さ15cm、幅9.2cmで粘土で造られていた。壺の中には長さ10cm、直径2.6cmほどの銅製の円筒形物体が入っている。更にその中には1本の腐食が激しい鉄棒が入っており、固定するために使われたと思われる天然のアスファルトが残っていた。

その後、古代都市セレウキアの遺跡からも同様の壷が4個発見されている。復元してみると、まさに電池であり、実際に試してみたところ1.5ボルトの電気が起きた。1800年、イタリアのアレッサンドロ・ボルタが2つの金属を酸に入れて電流を取り出したことが電池の発明と言われている。これより遥か前に、古代イラクではすでに電気技術を持っていたというのだろうか。

また、古代のパルティア人は高度な金細工に長けており、この電池を使った金メッキの技術を持っていたと推測される。実際1970年、当時西ドイツのアールネ・エッゲブレヒト博士が壺の複製を使った電気分解による金メッキ実験に成功している。

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アカンバロの恐竜土偶

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1945年7月、ドイツ人実業家ワルデマール・ユルスルートによって、メキシコシティの西北180kmのアカンバロ郊外のブル・マウンテンで恐竜の姿をかたどったと思われる土偶が大量に発掘された。この土偶の発掘数はその後3万点以上に上り、モチーフはティラノサウルス、プレシオサウルス、ステゴサウルス、プテラノドンなどの恐竜、翼竜が一番多く、そのほか猿人やゾウ、ウマ、サル、アルマジロなどの古代種や絶滅動物から、武器、楽器といったものまで多岐にわたる。

1968年、アメリカの年代測定専門会社アイソトープが、3つの土偶を炭素14法という年代測定にかけて調べたところ、それぞれ、紀元前1110年、紀元前4530年、紀元前1640年という驚くべき測定結果が出てしまった。さらに、翌年ペンシルバニア大学が行なった熱ルミネッセンス法による年代測定でも、紀元前2500年という古い測定値が得られている。

約6500万年前に絶滅したと言われる恐竜たちの姿を、古代のアカンバロ人はどのようにして知ったのだろうか?

そこで様々な仮説が立てられ、有力視されている説が人間が恐竜の姿を見て作ったとする説と化石を見て作ったとする説である。しかし、この恐竜土偶は化石を見ただけでは決して作れない事がわかっている。もしかして絶滅したとされている恐竜は4500年前にも生き残っていたのか?

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エジプトのグライダー模型

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カイロ博物館が所蔵する、紀元前2世紀頃の墳墓から発見された木製の飛行機模型。イチジクの木で作られたこの模型は、両翼18cm、全長14cm、重量は39.12gで、機首から機尾まで完全な航空力学に基づいて作られている。

1898年、ギザから約40kmほど南のサッカラ郊外の墳墓の発掘で発見された。発見当初は鳥をかたどった物と考えられていたが、1969年にカリル・メシハ博士が飛行機の模型説を打ち出した。実際に、復元模型を作って飛行実験をしたところ見事に空中に舞い上がったという。アメリカのライト兄弟による人類史上初の飛行よりもはるか前に飛んでいたというのか?

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パレンケの宇宙飛行士像

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1952年、マヤのパレンケ遺跡でメキシコの考古学者ルイリエールによって大王パカルの石棺が発見された。その蓋には、人間が乗り物に乗り、手は操縦捍を握り、足はペダルのようなものに乗せているように見えるレリーフが刻まれていた。この人間の背後にはエンジンのようなものがあり、その後ろには4本の排気筒のようなものがあり、外に向かって炎が噴き出ている。これは、ロケットを操縦する宇宙飛行士を描いているのではないかとフォン・デニケンによって指摘されている。

当の石棺の中には翡翠のマスクをつけたバカル王とおぼしき遺体と、数々の副葬品が埋葬されていた。発見された遺体は、パレンケ王朝第11代目のパカル王だとされているが、パカル王は687年に80歳で逝去したとされており、遺体から推定された死亡時の年齢が40歳前後であることと矛盾しているといわれている。

また、埋葬されている人物について、石棺に碑銘には『ハラチ・ウィニク(真実の人)』としか記されておらず、パカル王の名はどこにも記されていなかった。

さらに、不思議だといわれるのは、王であったことを示す冠や装飾品が全く発見されなかったことだ。そこで、『ハラチ・ウィニク(真実の人)』という言葉から連想して、埋葬されていた人物は、実は考古学者のいうパカル王ではなく、彼らの王朝に深い関わりがあった“特別な人物”であった可能性があるといわれている。

余談になるが、この石棺にはいつ開かれるかという予言が刻まれており その日は石棺を発見した日であったという。 もしかしたら、古代のマヤの神官は未来を見る能力でもあったのか?と思ってしまう。不思議な石棺である。

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アンティキティラの歯車

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1902年、考古学者スパイリドン・スタイスが、ギリシャのアンティキティラ島沖合、水深約40mの海底に沈んでいた難破船から目盛りと文字が刻まれた青銅製の歯車4個を発見した。大きさは一番大きな歯車で直径12.7cm。一部に古代ギリシャ文字で暦に関する記述や星座名が刻まれている。同じ場所から見つかった他の遺物から、紀元前82年頃の古代ギリシャ文明に造られた歯車である事が判明し、その後、アテネ国立考古学博物館に保存された。

1973年、ケンブリッジ大学で科学史を研究するデレク・ディソラ・プライス博士が、X線で歯車の内部構造を調査した。その結果、幾重にも重なった32枚の歯車を内部に発見した。その発見は、古代ギリシャ文明の技術では数枚の歯車を使った程度の初歩的なものしか存在しないという、それまでの推測を打ち破ることになったのだ。

それだけでなく、1575年にドイツで造られた天文時計で初めて使用されたとされる差動歯車機構という技術も使われていたという。その技術とは、回転の組み合わせによって回転数や回転速度を変えられる仕組みだが、プライス博士がその回転比を解析した結果、天動説における「地球を中心とした太陽と月の公転比」である「19:235」とピタリと一致したのだ。

それは、古代ギリシャ文明の天文学者が「太陽が地球の周りを19周する時に、月は地球の周りを235周する」事を知っていたということであり、表面に刻まれていた星座名や暦に関する記述で、この歯車の正体は「自動的に日付を合わせて太陽や月の位置を計測する天球儀」だったのではないかと考えられた。

実際に月の軌道を計算したところ、誤差はわずか100分の1度しかなかったという。また、この歯車には500年前に発見されたばかりの惑星も示されていた。地球に訪れた異星人が、古代の人々に天文学の知識を授けたのか?

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ヘッジスの水晶髑髏

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この水晶の髑髏は、1927年にイギリス人探検家ミッチェル・ヘッジスがペリーズのルバアントュム遺跡を発掘中、養女のアンナによって発見された。発見当時は顎の部分がない状態であったが、その3ヵ月後に発見場所から少し離れたところから再びアンナによって発見された。高さと幅は12.5cm、長さ17.5cm、重さ約5.4kgで、年代測定法では約3600年前に作られたとされている。

これは天然の山水晶をくりぬいて作られており、ただ形にしたのではなく、歯の一つ一つまで精巧に作られていて、下顎の部分と組み合わせると上下の歯並びがぴったりと合い、非常に正確に作られている。さらに、取り外した顎の部分に下部から光を当てると、両眼が発光するという造りになっている。これは水晶の複雑な光の屈折率を考慮した上で製作されており、現代の技術を用いても製作は困難であるという。

水晶はダイヤ、サファイヤ、ルビー、トパーズの次に硬い鉱物である。この水晶を砂と水を使い、何と約300年もかけて精巧に削り上げたという説が有力である。しかし、歯列の溝の部分には、当時の技術では知り得なかった回転式の道具によると思われる傷があり、その点もオーパーツたる所以である。

また、この水晶髑髏はこの他にも複数発見されており、フランスの人類学博物館、アメリカのスミソニアン博物館でも展示されている。この水晶髑髏は全部で13個あり、全てが再び1ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれ人類を救うといわれている。

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ピリ・レイスの地図

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1929年、トルコのイスタンブールにあるトプカピ宮殿で発見された地図。羊の皮に高度な技法で描かれており、右半分を消失してはいたが、その地図に描かれているものは製作された時期では未発見だった大陸が正確に描かれていた。

トルコ海軍提督ピリ・イブン・ハジ・メメドが1513年に記したとされる通称 『ピリ・レイス(レイスは提督の意)の地図』には、当時はまだ発見されていなかった南極大陸や氷河に埋もれた海岸線が正確に描かれている。南極が発見されたのは1818年であり、製作時期を考えてもつじつまが合わない。また、南極の地形が完全に地図化されるのは、1920年のイギリスとスペインの合同調査によってである。にもかかわらずその海岸線は偶然の一致では、まったく説明不可能なほど正確に書かれている。そればかりか、この地図は現在の航空地図を作る際に用いられる「球面三角形」の技法が用いられており地球全体の形が、エジプトのカイロ上空から地球を見下ろした形とぴたりと一致している。これは、地図の製作者が地球が丸いことを知っていたとともに空から地表を見る事ができたという事になる。

1513年当時に、この地図が描かれたというだけでも実に不思議であるがこの地図の左端の地図解説文のところには「紀元前4世紀のアレクサンダー大王時代から伝わる20数枚の古地図を参考にして描かれたものだ」という注釈がついているのである…。

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アショカ・ピラー

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インドの首都ニューデリーのクトゥプ・ミナール寺院にある高さ約7m、地中部約2m、直径約44cm、推定重量約6トンの鉄柱。サンスクリット語の碑文、鉄柱頭の部分がアマラカ様式であることから、1500年前にアショカ王により平和祈願を目的として製作されたものと推定される。
 
驚く事にこの鉄柱は1500年以上、熱風とモンスーンなどの強い風雨にさらされながらもこれまで錆びたことがない。鉄にとって錆は宿命的なもので、現在の技術では、ステンレスなどの合金加工でそれをしのぐ方法しか発見されていない。ところがこの鉄塔は、99.72%という高純度の錬鉄で作られており、α鉄に属するただの不純物を多く含有する鉄に過ぎない。つまり簡単に錆びてしまうのだ(ステンレスは、ニッケルやクロムを多く含んでおり、1914年にドイツで発明されている)。

また、この鉄柱に背中を押しつけ、両手を回してつかむと幸運に恵まれるという言い伝えがあり観光名所としても有名な場所である。

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コスタリカの巨大石球

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1930年初頭に中米の小国コスタリカの太平洋沿岸部、ディギス川のデルタ地帯を覆う熱帯雨林のジャングルで200個以上発見された人造大石球。これらは、紀元前300年〜西暦700年頃のものであるとされている。

石球の大きさは直径2〜3cmの物から最大で2.6m、重さ25トンの物まで千差万別である。そしてこれらの石球がオーパーツとして扱われている最大の特徴は、石球が限りなく真球に近いという点にある。直径の誤差は、最大でもわずか0.2%。しかも、直径2006.6ミリで1/100レベルで誤差の全くない2つの球体も発見されている。実はこの大きさの石を真球に作り上げる作業は、現代の技術を用いても困難であり、さらに高度な幾何学的知識が必要となる。そのため、未知なる超古代文明の存在を暗示するものと考えられていた。

この石球は、一部の石灰岩製を除きほとんどが花崗岩でできている。しかし、不思議な事に発見された地域には花崗岩は存在しておらず、数十キロ離れた内陸の山岳地帯から運んだとしてもその痕跡はないどころか、石切り場の跡さえ見つかってない。どこから持ってきてどのように運んだのか、そして何よりもなんのために作られたのかすべてが不明である。一説では、発見当時 石球は大小ばらばらに配置されており それは天体図を表していたのではないかとも言われているが、今となっては謎のままである。

発見当初、アメリカの学者が調査した以外には、本格的な専門研究に着手されたのはそれから数年経ってからである。その間この球体の中に黄金の財宝が入っているという噂が広がり多数が破壊されてしまった。

【つづき】

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