ヘッジスの水晶髑髏

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この水晶の髑髏は、1927年にイギリス人探検家ミッチェル・ヘッジスがペリーズのルバアントュム遺跡を発掘中、養女のアンナによって発見された。発見当時は顎の部分がない状態であったが、その3ヵ月後に発見場所から少し離れたところから再びアンナによって発見された。高さと幅は12.5cm、長さ17.5cm、重さ約5.4kgで、年代測定法では約3600年前に作られたとされている。

これは天然の山水晶をくりぬいて作られており、ただ形にしたのではなく、歯の一つ一つまで精巧に作られていて、下顎の部分と組み合わせると上下の歯並びがぴったりと合い、非常に正確に作られている。さらに、取り外した顎の部分に下部から光を当てると、両眼が発光するという造りになっている。これは水晶の複雑な光の屈折率を考慮した上で製作されており、現代の技術を用いても製作は困難であるという。

水晶はダイヤ、サファイヤ、ルビー、トパーズの次に硬い鉱物である。この水晶を砂と水を使い、何と約300年もかけて精巧に削り上げたという説が有力である。しかし、歯列の溝の部分には、当時の技術では知り得なかった回転式の道具によると思われる傷があり、その点もオーパーツたる所以である。

また、この水晶髑髏はこの他にも複数発見されており、フランスの人類学博物館、アメリカのスミソニアン博物館でも展示されている。この水晶髑髏は全部で13個あり、全てが再び1ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれ人類を救うといわれている。

【つづき】

このヘッジスの水晶髑髏は、実は1944年にヘッジスがイギリスの有名なオークション『サザビーズ』で美術商から400ポンドで購入したものであることが近年明らかにされている。大英博物館が行った調査の結果、これはドイツで過去150年以内に作られたものであることが結論づけられたのだ。

それに加えてヘッジスは、確かに1926年まではルバアントュム遺跡の発掘に参加していることが調査で分かっているが、1927年にはイギリスに帰国していてルバアントュム遺跡の発掘には参加していなかった。しかも、直接の発見者だといわれる養女のアンナに関しては、ルバアントュムにいた形跡すら見つからないという。

また、同遺跡の発掘当時の写真は数多く残っているのだが、水晶髑髏を写したものは、その中には1枚もないのだ。 遺跡発掘メンバーだったトーマス・ガン博士は、1931年に『マヤの歴史』という本を出版したが、その中にも水晶髑髏についての記述は一切出てこないのだという。
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